私に贈る言葉
自由とは、他者から嫌われることである
アルフレッド・アドラーの思想に基づく言葉(『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健 著/ダイヤモンド社)
いつ、どんな場面で発言されたか
この言葉は、2013年に出版されたベストセラー『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎・古賀史健 共著、ダイヤモンド社)の中で登場したものです。本書は、アドラー心理学に精通する「哲人」と、人生に悩む「青年」の対話という形式で書かれており、この名言は物語の核心部分で、哲人が青年に対して語りかける場面で登場します。
アルフレッド・アドラー(1870〜1937)は、オーストリア出身の精神科医・心理学者で、フロイトやユングと並ぶ心理学の三大巨匠の一人です。アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と考え、他者の期待に縛られず自分自身の課題に向き合うことの重要性を説きました。ただし、「嫌われる勇気」や「自由とは、他者から嫌われることである」というフレーズそのものは、アドラーの原典(『個人心理学講義』『人間理解』など)にそのまま記されているわけではありません。これらは、アドラーの思想のエッセンスを岸見氏と古賀氏が印象的な言葉に凝縮したものであり、いわば「アドラーの哲学を現代に生きる私たちの言葉で再構成した表現」です。
とはいえ、その根底にある考え方はまぎれもなくアドラー心理学そのものです。アドラー心理学の第一人者である岸見一郎氏も別の著書『生きる勇気とは何か──アドラーに学ぶ』(幻冬舎)の中で、アドラーの思想をこう解説しています。「自立し、自由であるためには、自分のことを嫌う人がいるということは、自分が自由に生きているということの証であり、支払わなければならない代償であるといえる」と。アドラー自身は直接このフレーズを使わなかったけれど、その思想の中核にあるメッセージは確かにこの一文に結晶しているのです。
言葉の意味
私たちは日常の中で、気づかないうちに「嫌われたくない」という気持ちに支配されています。上司の顔色をうかがい、友人の期待に応えようとし、SNSの反応に一喜一憂する。誰にでも覚えのある感覚でしょう。
アドラー心理学では、こうした「承認欲求」に従い続ける生き方を、坂道を転がり落ちる石ころにたとえます。周囲に合わせ、自分を摩耗させ、丸く丸く削られていく。その結果できあがった姿は、はたして「ほんとうの自分」と言えるのでしょうか。
「自由とは、他者から嫌われることである」。この言葉は、嫌われることを推奨しているわけではありません。「嫌われるかもしれない」という恐怖に縛られて、自分自身の人生を他者に明け渡すことをやめよう、という呼びかけです。
アドラー心理学にはもうひとつ、「課題の分離」という重要な概念があります。「自分がどう生きるか」は自分の課題であり、「それを他者がどう評価するか」は他者の課題である。この二つを混同しないこと。他者の課題に踏み込まず、自分の課題に他者を介入させない。このシンプルな原則が、対人関係の苦しみから自分を解放してくれる鍵になります。
つまり、この名言の本質は「他者の目ではなく、自分自身の価値観と信念に基づいて生きる勇気を持とう」ということ。その結果として誰かに嫌われることがあっても、それは自由に生きていることの証なのだ、ということなのです。
私に贈るメッセージ
もし今、「あの人にどう思われているだろう」「嫌われたらどうしよう」という不安が、あなたの心に重くのしかかっているなら、少しだけ立ち止まって考えてみてください。
すべての人に好かれようとする生き方は、裏を返せば、自分自身を失い続ける生き方でもあります。10人の他者全員に忠誠を誓おうとすれば、できない約束を重ね、嘘をつき続けるストレスに押しつぶされてしまう。それは本当の意味での「良い人間関係」とは言えません。
もちろん、この言葉を「今すぐ完璧に実践しなければならない」と受け取る必要はありません。むしろ、しんどいときに「嫌われる勇気を持てない自分はダメだ」と追い込んでしまっては本末転倒です。大切なのは、「少しずつでいい。他者の期待ではなく、自分の心の声に耳を傾けてみよう」という、やわらかな一歩です。
嫌われることを恐れない、というのは冷たい話ではありません。むしろ、自分の人生に対して誠実であること、そしてその誠実さの先にこそ、本当に温かい人間関係が築けるのだという希望の話です。
あなたの人生は、あなたのものです。誰かの期待に応えるための人生ではなく、自分自身が心から納得できる生き方を、一歩ずつ選んでいく。その小さな勇気が、きっと人生を自由で豊かなものに変えてくれるはずです。
